こんにちは、七海です。
今回はいつもと少し違う雰囲気でお届けします。
私が「もう死にたい」「消えたい」と考えるくらいに絶望したときのお話。そして、それでも、いえ、だからこそひらめくものもあるんですね。というお話です。
画面のむこうのあなたは、もしかしたら今、同じくらいかそれ以上に追い詰められた方かもしれませんね。
よく頑張りました。疲れちゃいましたよね。でも、まあまあ、焦らずに。
ちょっとここらで一休みして、私たちの話でよければ、お茶でもコーヒーでも飲みながら聴いていってください。
泣いてもいいですし、うずくまったままでもいいですからね。
なんなら美味いカフェオレ紹介しますよ。
さて――無理せず、ぼちぼち見ていきましょう。
本気で死にたいと何度か考えたことがある
私は、2019年10月時点で20代前半の若輩者です。
しかしながら、短い人生の中で何度か死にたい、消えたいと本気で考えたことがあります。はっきり思い出せるのは3回ですね。
- 小学5年生の時
- 2018年の秋
- 2019年の夏
あれれー、最後の1つは最近ですねー(自演
具体的に言うと3か月前ですね。
痛いのや苦しいのは嫌で嫌で仕方がない人なので、実際に行動に移したことはほぼないのですが、消えたい感覚には頻繁に憑りつかれています。
命を絶ってしまいたいという強い感覚を「希死念慮」といいます。
小学5年生の時、飛び降りようかなと考える
その頃、確か学校の人間関係に悩んでいたのだと思います。子どもながらに追い詰められていて、学校に行くのが嫌でしょうがなかった。
私が住んでいたのはマンションの4階でした。家から出たとき、通路の際でふと下を見下ろしました。灰色なアスファルトと駐車場。幼い私の目には、かなり遠く感じました。
「こっから飛び降りたら楽になるかなあ」
ぽんっと。
本当にぽんっと、そんなことを考えました。
その瞬間、すごい惹かれてしまったんですね。
冷静に考えれば怪我をして終わりだったと思うんですが、そのときの「楽になれる」という誘惑ったら半端なかった。
「あのとき実践してたらどうなってたか」と今思い返すと、怖くなります。
2018年の秋、衝動的に包丁を手にする
これはさすがにはっきり覚えてますね……。
具体的な話は伏せますが、きっかけは母にある話をしなければいけなかったこと。
私はもともと人と話すこと、人に話を切り出すことが苦手なのですが、中でも身内に重要な話をするのがすごく苦手なんです。親にこそ話さなくてはならないことほど話せなくなってしまう。
そうすると「いや何やってんだよ! ちゃんと話さなきゃだめでしょ!」と自分自身を追い詰めてしまうんですよ。
そして周りからも「まだ話してないの?」ってせっつかれる。
そうして追い詰め、追い詰められた結果、あるときプツンと糸が切れて、通っていた事業所を連絡なしで休みました。
家を出なくてはいけない時間が過ぎたとき、火がついたみたいに大泣きして、それからふらふらと台所へ行き、包丁を自分自身に向けました。これが二度目。
繰り返しになりますが、私は痛いのと苦しいのが大嫌いです。なのでこのときもそれ以上の行動には及んでいません。
※ヨハン君の『共通の話題』については後々このブログの隅っこにでも書くかもしれないし書かないかもしれない。今はさらっと流してください。
ただ、これ以降は道を普通に歩いていても「あーこのまま消えたいなー」とか考えるようになります。
2019年の夏、川に引き寄せられる
去る8月(言っちゃった)。
なんとか仕事も見つかって、ここでならやってけるぞ! と意気込んでいた時――突然の無気力状態に陥りました。
朝、ベッドに横になったまま指先一本すら動かせない。欠勤の連絡を入れようにもスマホが手に取れないし画面見ようとすると胸糞悪くなる(言葉が悪くてすみません)。
結果無断欠勤になったのかどうかは、はっきり覚えていません(でもこの状態の間に一度無断欠勤をやらかしているのは確かです)
仕事内容も自分向きだと当時は思っていたし、職場の人間関係も良好だったし、障害者雇用ということもあって、はたから見るとさほどハードでもなかったです。なので、どうして突然そんな状態になったのか、当時はまったく分からなかったです。今でもはっきりとは分かっていません。
ゆえにこそ焦りが出ます。
「せっかく雇ってもらったのに」とか「あ、このままだとまた引きこもる、やべえ」とかね。
そんなことが続いて、精神も生活も不安定になって、しまいには寝なくなりました。
眠れなくなったのではなく寝なくなったのです。
「寝ようとしなくなった」が正確かな?
で、夜中になるとアレコレ考えてしまいます。そうしているうちにふと、歩いていける距離にある川のことを思い出します。そして、やっぱり考えるんですね。「あの川に入ったらどうなるかなあ」って。
翌朝、不審がられない程度に朝早い時間に出て、川の前まで行きました。不思議なもんでそこでも冷静な自分がいて、その川に入った程度じゃ「水が冷たいなあ」くらいで終わるだろうと分かっていたんですが。
そのときはもう、本当に、一度入ってみようと。それしか考えていなかったです。
後ほど、様子を見に来た支援者各位と大揉めしてから家に帰りましたが、なんか色々ボロボロでした。
崖っぷちなときに考えたこと、半歩だけ崖から離れて見えたもの
何度か精神的な落ち込みを経験していると、その中でも微妙な気持の変化があることに気づきます。
本気で「死にたい」などと考えているときは「崖っぷち」、希死念慮や絶望感が少し薄らいだときは「崖から半歩離れた」と、ここでは例えましょう。
冒頭にあった「絶望したときこそひらめくもの」は崖から半歩離れたときに見つかります。
最初は崖の下へ行くことを考える
崖っぷちにいるときは、とにかく崖の下へ行くことをよく考えます。
どうやってこの苦しい人生を終わらせようか。どうやったら楽に終わらせられるだろうか。そんなことばかり、ぐるぐる、ぐるぐる頭を巡ってしまいます。
また、過去にあった嫌なことなども思い出しやすいですね。
嫌なことをふっと思い出して、嫌な気持ちになって、だから余計に絶望して、いっそ崖下に落ちてしまいたくなる。完全に悪循環ですね。
崖から離れて思い切ったことができるようになる
強烈な希死念慮が時間と共に薄らぐと、「自分はどうなりたいのかな」あるいは「どうしてこうなったのかな」と冷静に考えられるようになっていきます。
ここで変に「仕事しなきゃ」などと焦り出すと精神衛生上よろしくないんですが、ゆっくりと自分を見つめなおす時間を作ると、時々予想外のひらめきや思い切りが生まれます。
私は1日の中でかなりの時間を、物語のシーンを考えるのに使う自称『妄想族』です。崖っぷちのときは妄想するエネルギーすら枯渇していましたが、そこを乗り越えたら少しずつまた妄想する余裕も出てきました。
それともうひとつ。このブログを開設したのは2019年1月です。実はこのとき、ようやく崖から離れた頃だったのです。
「何か今までと違うことを始めてみよう」その思い切りから始まったのが『ぼちぼちいこう。』でした。
ヨハン君は絶望から生まれた
今ではこのブログ上で私のよき相方になっているヨハン君とリナ。
彼らと、彼らの物語も、実は上であげた「2018年秋」の期間中に生まれました。絶望の中のひらめきの最たる例だと勝手に思っています。
詳細設定をまだどこにも公表していない段階なので、あまり大きな声では言えませんが――(あとでTwitterなどで呟いているかもしれません)
小学生以来の死にたい気持ちを経験した私は、「この強烈な感情を知ってもらう方法はないかな」とぼんやり考えていました。
とはいえ当時は、そのときの状況をそのまま誰かに話したりネットに書き込んだりする気にはなれませんでした。それに、自分語りという形だと、感情の伝わり方が弱くなるのでは、と考えたのですね。
じゃあどうするか。
物語とキャラクターに変えてしまえばいいじゃないか。
ごく自然に結論にたどり着きました。さすがに7年あまりも創作活動に没頭していると、そういう思考の癖がついてしまうのでしょう。
そこから、自然にヨハン君の姿が浮かんできて、そのまま彼が暮らす世界のことやまわりの人々のことも決まっていっています。
まとめ:絶望体験は時として宝物になる
昨年秋の絶望がなければ、ヨハン君は生まれなかったし、今こうしてブログを書いていることもなかったでしょう。
そう考えると、死にたい、消えたいほどの絶望は強力なエネルギーやアイデアを生み出すもととなる可能性があるんですね。
とはいえ本当に辛いときはそうも言っていられません。だから辛いときは休んでください。好きなことをして、好きな物を食べて、ダラダラしてもいいでしょう。
少し辛さがやわらいできてから色々考えると、思わぬ道が見つかるかもしれません。
繰り返しますが、本当に辛いときは考えてる余裕などないので休んでください。本当に無気力なときは何もしなくてもいいし、できることがあるならそれだけやっておけばいいと思います。
古い記事ですが、無気力なときの対処法を挙げた記事もあります。よろしければ参考にしてください。(※「崖から離れた」レベルの人向けの対処法が多めです)